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何から話そうか?人に話せない過去もあるし。簡単に学歴から保育園・小・中学校と人並みに卒業、勉強が嫌いな少年で(やればできる子なんですが)家庭の事情もあり、工業高校の定時制に働きながら通いました。働いているから歳の割りに金回りは良い、16歳で原付の免許を取り働いたお金でバイクを買う。この頃動く物(メカニカルな物に)興味を持ち始め、4輪・2輪のレースに鈴鹿に通い始める。小学生の時テレビでたまたま見た、フジスピードウェイの4輪レース、生沢のポルシェ。カッコよすぎ!その影響もあり卒業文集に将来の夢、「大きくなったら、レーサーになる」でした。4輪のレーサーであるが。この頃から解りもしないのに自分でいじる癖がありよくいじり壊したものです。コンポ(オーディオ)を買おうと貯金をしていたが、友達が乗っていたのに触発され自動二輪免許を取り400ccバイクを買ってしまう。人生の転機。より一層レースの世界に興味を持ち始める、卒業したら絶対鈴鹿に走りに行くぞ!と意気込んでました。
AM8時〜PM5時の仕事、6〜9時の学校・授業・部活もやってたんで部活の有る時は9〜10時部活家に帰れば11時、暗い青春でも結構楽しかった、こんな生活を4年間続け、無事卒業! さあっ!鈴鹿に走りに行くぞ、でももっとメカに詳しくならないと!そして後先を考えずに行動する若者の見本のように、こんな仕事してちゃダメだ。安易に自動車修理工場に就職、そこで後から色々役に立つ自動車のエンジン・シャーシの基礎知識を身に付けました。この頃鈴鹿サーキットにも行き、最初はどのサーキットにもあるサーキット走行会員になり走り始めました。バイクは町乗りで使っていたホンダ・CB400です。そりゃ想像を絶する面白さ・怖さでした一度で病み付きになりました。勿論走行会員では満足できず、レースに出たい、競争をしてみたいと。初めはノービスクラス(レース初心者クラス)、といっても排気量や・カテゴリー(レーサークラス・市販者ベースのプロダクションクラス)に別れていて、その中でも一番コストの掛からないプロダクション125ccクラスに決めた。125ccだと馬鹿にするなかれサーキットでは750ccのバイクよりコーナーリングスピードは全然速い!鈴鹿には勿論バイクで行くんじゃなく、ワンBOXに積んで行きます。人生初めて買った車は8万円のオンボロハイエースでした、以降いまだ新車には縁が有りません。1979:19歳レース生活の始まり。
バイクは、HONDA125・TWプロダクション(市販車クラス)で走り始め幾度となく転び、なぜかその度にのめり込んでいきました。
P125・スズカ・ヘアピンこのレースで表彰台、勉強が嫌いだった私は唯一自分をアピールできる場所を見つけた。
P125で4レース目スズカ2位表彰台!若い・汚い・怖い物知らず
レーサークラス(レース専用で設計された)にステップアップHRCの前身RSCのMTR125、同じ125ccだと思えない異次元の速さ。
レーサー125ccクラスで約1年参戦してポイントを獲得、翌年国際B級に昇格。クラスを変わる事は考えず、125ccクラスのまま翌 年も参戦、21歳。全日本選手権ロードレースで年間通して規定の獲得ポイントを取得できればライセンス区分がノービスから一つ上の(国際B級ライ センスに昇格します。国際B級に昇格すると(ノービスクラスでは参加することが出来ない排気量のクラスに参戦)できます。ゼッケンも白地に黒のナンバーから緑枠に白のナンバーで固定ゼッケン。
国際B級に昇格して初レーススズカ2&4レース、レベルが高かったがその分楽しめた。確かクラス4位だった。
スタート1秒前、静寂、ヘルメットの中は自分の呼吸音しか聞こえません。緊張も頂点。今ではすべてのスタートがクラッチスタートになりましたが、この頃はまだ古き良き時代の名残、押しかけスタートです。スズカホームストレート。
メカを覚える為に転職した修理工場、大体基本的なことは覚えた。自分のバイクぐらい整備できるようになったし、レースを始めると予想どうりお金が掛かるので、もっと収入の良い仕事はないかと。また深く考えもせず運送屋に転職、学校の関係で普通車の免許を取ったのは19歳の時で運送屋に入った時は初心者マークでトラックに乗っていました。