発症
リハビリ
現状
退院
発症・半年
入学
発症・1年
帰郷
もう2年・まだ2年
3度目の春
うまくはかないもの

後悔先に立たず
9月7日朝いつもと同じように家を出て、同じように一日を過ごし家に帰る。意識はしていませんが、明日もその次の日も変わらない毎日が続くと思っていました、この日を境に生活が(人生)が変わってしまいました。初めに大きい病院に行けばよかった!後悔しても始まりません。 どうしても大きな病院というと、待ち時間の長さなどを考えると一日仕事を覚悟しなくてはならない、そんなこと言ってられないが。行きそびれてしまう原因の一つでもある。
入院
勿論すぐに病院に行きました。車の運転は危険だからと、会社の社長に乗せて貰い自宅の近くの総合病院へ。病院に行く間車の中、脳梗塞の初期の症状で(脳がむくみ)凄く眠たくて起きていられませんでした、奥さんにも電話をして貰い病院で待っていてもらうことに。病院に到着、この時点では不思議な事に手足の麻痺は出ていませんでした自分の足で歩いて受付まで、そこには不安げな奥さんと風邪で保育園を休んだ息子と4月に生まれたばかりの娘(4ヶ月)が待っていました。それから診察を受けました。先生はカルテを見ながら44歳ですかまだ若いのに・・・・通常高齢者の病気らしい、血圧は異常無い・血液検査も特に異常は見られないし、おかしいな?C・T撮って見ましょうか、車椅子に乗せられて「歩けるって言ってるじゃない!病人扱いされるのが嫌でした。」この時「何か大事になってきたぞ」と相変わらず人事のようでした。CT撮影結果「脳梗塞ですね、絶対安静です!すぐに入院して下さい」即入院!
ICUへ
外来診察室から今度はストレッチャーに載せられ、集中治療室 ICUへ集中治療室って・・・重症患者が入るところじゃないのか?「そんなに重症なのか?」これ以降内科担当、集中治療室。自分の置かれている状況を考えると予断を許さない事態。すぐに治療が始まりました、血栓溶解療法点滴・まずは血栓を溶かす薬の入った点滴を2週間続ける、平行して梗塞の原因を調べるべく24時間体制で心電図を取ります心臓弁膜症により心臓内にできた血栓が脳血管をふさいだ時に突然の発作、「心原性塞栓症」の疑いもある為。「内科的治療」らしものは之しかないらしい(打つ手が無い?)脳梗塞の影響で頭はぼぉ〜としてすぐに寝てしまう、とにかく眠い。脳梗塞の影響で、脳がむくむ為その影響らしい。この時は2週間仕事休み?困ったな〜ぐらいの感覚でした、点滴が終われば家に帰れると思っていました、おめでたい性格です。えぇ〜家に帰れないんだ弱ったな、 何が弱った?お話しするのがちょっと恥ずかしいのですがテレビアニメ、ワンピースの録画予約がしていない。事の重大さが解っていない!奥さんに後でこっぴどく叱られました。「何言ってんの!こんな時に」病気の影響で正直この頃の事はよく覚えていませんが、最初に言ったことが之らしいです。「御免なさい」 この時の体の症状はろれつが回らない・梗塞の影響で顔の筋肉左半分の麻痺、笑っても引きつった様な顔になります。口を閉じているつもりでも左の口端からよだれがタラーッ。この時まだ手足の麻痺は出ていませんでした(動いていました、何で入院するの?)。夕方になり奥さんと子供達が帰っていきました。気を抜くとすぐに寝てしまいます、この後一人病室で何を考えたのか・・・入院直後の事は梗塞のせいで断片的にしか覚えていません。

入院2日目
MRIの撮影(磁気共鳴断層撮影)・白く写っている所が梗塞部分。(右大脳にあたります、担当医によると右大脳の半分以上いっちゃってるらしい)

残念ながらこれ以降2〜3日の事はよく覚えていません、後に奥さんから聞いたことと照らし合わせて。2日目の朝起きてから何時ごろか覚えてませんが、看護師さんに(どうですか)と聞かれてから気が付いたと思うのです。足・腕が(肩から下)動かない。それでもまた一時的なものだろうとたかをくくっていました。また少しすれば動くだろ、きっと!これ以降いろいろな検査が続く。今度はMRIの撮影診断結果は。「昨日より梗塞がかなり広がっていてちょっと深刻な状態です。」と言うものだったがすぐには聞かされませんでした。先生が奥さんに「旦那さんには後から病状を説明しても宜しいですか」と説明が有ったらしいです。

ちょっと深刻?
、、一過性脳虚血発作(TIA)と呼ばれる症状らしく前触れ発作が見られます。私のTIA症状としては、感覚障害として・片方の手足のしびれ・片足を引きずる、手足から急に力がぬける、言語障害・バランス感覚の障害として・急にめまいがするようになった、などです血栓が詰まりかかって、一時的に脳細胞が酸素・栄養不足になり麻痺が起きる、詰まりが取れ数分でまた正常に戻ります。

でも今度はちょっと違う、CT血管造影・MRI撮影したところ広い範囲で梗塞が起きていて詰まった血管自体そんなに太い血管じゃなかったらしいのですが。り一度死んだ脳細胞は元には戻らない。結果として後遺症が残るのは覚悟して下さいと言われました。人それぞれ個人差は有るものの、梗塞の範囲(死んじゃった部分)が広いから、
「悪ければ 一生車椅子・良くても杖を付いて歩く程度の回復ぐらいしか望めないでしょう」。まだ信じられませんでした、「何言ってんのまた動くようになるよ」って信じていました。
◆左半身麻痺
この時点では、左手・足はピクリとも動きません。不思議なくらい線を引いたように左半分が麻痺しています。顔の筋肉まで、感覚障害は無いので幸いです。この障害があると怪我をしていても・履いているスリッパが脱げても・例えば服に火が着いても気が付かないらしいです。

◆高次脳機能障害
脳の中に「高次脳」という部分があるんじゃなく、正確に表現すると「高次の脳機能の障害」と言う事らしい。思考・記憶・学習・注意といった人間の脳にしか備わってない次元の高い機能が、脳の損傷によって故障する、あるいは失われる障害をいう。この障害は、主に感情や記憶を司る部分が損傷された場合、感情が抑制できなくなる、口数が少なくなる、無気力になる、記憶力が低下するなどの症状が現れます。このような症状はうつ病や痴呆症(認知症)、その他の精神疾患と誤解されやすい、

◆嚥下(えんげ)障害
食べ物をうまく飲み込めない、誤飲をすると肺に入り誤嚥性肺炎をおこす・気道につまり窒息するなどの危険も、うまくいかない人は食べ物を細かく切ったり、とろみを付けて飲み込み易くしたものを食べる。私は程度が軽かった

◆講音障害
(ろれつが回らない)手足の麻痺と同じように、唇や舌・声帯などの筋肉が麻痺し発声や発音がうまくできなくなる障害。口角の感覚も鈍くなっており、運動麻痺もあるため、歯医者で麻酔をかけられたときのような感覚に近く、食べているものが左端からはみ出す。食事中は始終口の端に何かついてやしないか気にしている。同じ理由で左側からよだれが垂れる、だから人と向き合ってしゃべっていると気がきじゃない。何時も右手で確認する。注・1

◆半側空間無視
などの疑い左半身や左側の空間に対して注意が向けられなくなる障害、右半球に病巣がある場合に多い症状らしい。個々のものの左半分が見えないのではなく、認識できない。例えばご飯など食べていても左側のおかずに気が付かない。   などなど盛りだくさんです。

注・1「球麻痺症候群」

(きゅうまひしょうこうぐん)舌咽(ぜついん)・迷走(めいそう)・舌下(ぜっか)の両側にある脳神経がやられたしたらしい。通常この部分の神経は、口に食物が入ってくると咀嚼(そしゃく)を起こし、同時に唾液を分泌する。そのうち咽頭の反射で食物は飲み下され、食道へ送られる。食物が咽頭までくると同時に、喉頭では蓋が閉じられ、誤って気道に食物が入るのをふせぐ。球麻痺ではこの一連の動きが麻痺するのでむせる事が多くなる。「ボ〜ッ」と上を見ていたり、うたた寝をしていると唾液でむせかえりビックリする。

健康な40代

先生の診断によると、検査の結果は血液検査・血圧・心電図など何処にも異常が見られず原因が解らない!ですって!昨日今日急になったんじゃなく長年かかって動脈硬化になった。脳梗塞以外はとても健康な40代の体ですと褒められましたが、はっきり言って
これと言った原因が解りません!エッ!、しいて言えばストレスなども関係しているかな?ストレスは悪玉の活性酸素を作り出すらしい、活性酸素は動脈硬化の原因を作るらしい。まだ事の重大さに気付いていませんでした。  
というより認めたくない気持ちの方が強かった。

思い当たる事と言えば

血液ドロドロ、仕事柄真夏でも服装はツナギ。半端じゃなく暑い!頭から水を被った様に汗でツナギが濡れる。勿論喉も渇く、水・お茶を飲めばまた汗を掻く。毎日水筒に麦茶を入れて持ってゆき飲んではいましたが。飲めば汗が出るのでなるべく水分を摂らずにいた、喉が渇けば休憩の時、缶コーヒーなどで水分を摂っているつもりでいた。これが大間違い!あとで解ったが、コーヒーは離尿作用がある、飲んでもオシッコになって出てしまう。これを繰り返し、最近よく話題の
「血液ドロドロ」になる。これに動脈硬化などが加わると・・・・血栓ができる。

家族

娘は4月に生まれたばかり、入院時点でまだ4ヶ月、奥さんは働いてはいませんでした、私の入院の為毎日通ってきてくれます。勿論娘も連れて、でも病院だし場所がICUという事もあるので病気を拾うのが心配なので、お兄ちゃんが通っている保育園にでついでに「入れちゃおか」保育園に無理言ってお願いしました。お兄ちゃんも私が入院してから少しの間夜寝る時に不安とショックが大きかったのか、よく泣いていたらしいです。病気は怖いです生活が一変します。本人だけじゃなく家族も巻き込みます。私の不安より家族に与えた不安のほうが大きかったのかも、

家族は、私以上に明日への不安など無かったと思います、お父さんだけはいつも元気だと、明日からもいつもと同じ毎日が来るのを信じていたはずです。入院する1週間前の日曜日、裏の川にゴムボートを膨らませ持っていき、兄ちゃんと遊びました。また行くはずでした。