3度目の春

発症
入院
リハビリ
現状
退院
発症・半年
入学
発症・1年
帰郷
もう2年・まだ2年
うまくはかないもの
前にも言ったが、発症当時はTIAみたいにすぐまた動くようになるさ、と暢気に構えてた。今回はちょっと回復に時間がかかってるだけ半年もすれば職場復帰してのんきに車いじってるさっ!なんて考えていましたが・・・ 娘はこの春で3歳私も発症して以来3度目の春です。

発症8ヶ月目ぐらいで気持ちを切り替え、PCの勉強を始めたが、明確な目標と言うか、ここまで出来ればOKというラインもわからないし気持ちの浮き沈みの中で続ける事は正直辛かった。「こんなことしていていざ就職となった時役に立つのだろうか?企業側に受け入れられるだろうか?」PCの勉強に対する疑問・不安を持ちながらの毎日でした。勉強といっても毎回施設に通うわけでもなく、半分以上が自宅での自習?みたいなものです。天気のいい日など窓から見える空・景色を見ながらいつまでこの生活が続くんだろう?来年もまたここから外を見ているのかな?なんてそんなことばかり考えていました。励ましてくれる友達や仲間は、「前向きだとか努力家だ」と言ってくれますが、「別にそんなことないよ、やらなきゃいけないし、しょうがないからやってるだけ」と何時もうそぶいていました。無駄な努力はないと思うから。

2007・1/2
2005〜2006年にかけてPCに関するいろんな勉強してきましたが。気がつけば、仕事前提で考えると、「できて当たり前」のものばかりだった。自分としては上出来のつもりでいたが、2006年末から少しは特殊性のあるものを学ばねばと職業訓練の一環として行われている、
【CAD習得コース】なるものを受講しています。平日月曜〜金曜、AM10時〜PM16時3月初旬まで約300時間。勿論無料!まだ一月も経っていませんが、初めは不安でしたが「このさび付いた(半分死んだ)頭にまだ入るのか」でもやってみて、i以外に自分に向いているのかな?って思えました。3月にはどうなっているやら?
2007.1/20
途中経過ディスクワークなどやったこともなく、一日同じ所に座ってPCいじるなんて、耐えられるだろうか?と思っていました。気がつけばもう一月が過ぎなんとかやっております、毎日が分からない専門用語との格闘。ただでさえ物覚えが悪く人の三倍時間が掛かる体質(頭の構造)だから、もうパンク寸前、 でも作業が進んでいる時は時間を忘れます。インストラクターは二十歳そこそこのおねえちゃん、私も子供が早ければ、自分の子供でもおかしくないような歳でなんか複雑・・・
内心「このおねえちゃんでもできるんだから、爆」と自分を奮い立たせています。

3歩進んで二歩下がるそんな毎日
2007・3/3
講習が始まる前は、3ヶ月なんて想像できないくらい長い時間に思えたのに、もう三月、気が付けば残すところ後3日・・・・アッと言う間の時間でした。自分の中では「結構できたんじゃないか」と思っています。思い起こせば小学校入学から40年あまり 
『勉強嫌い』を押し通してきて、「勉強なんかできなくても、読み書き・足し算引き算できれば生きていけるさ!」と そんな生き方を押し通してきました、「男は腕で勝負だ!」そんな信念を持って生きてきました。そんなおバカな信念も44年目で終わり。 ツケが回ってきたのか?退院半年後の45歳から「生きていく為・生活していく為の」勉強が始まりました。【一番苦手とする・避けて通ってきた】何の因果か?そんな頃友達に言われました、「人間一生のうちにしなければいけない勉強の量は決まっているらしいよ」って言われました。 「うん〜納得」 つくづくおもしろい人生だ。(ちょっぴり楽しんでいます) 何年かして酒でも飲みながら笑い話にでもなればと思います。人生楽しまなきゃ!!
来年の今頃何をしているのかまったく想像が出来ませんが、(一月先のことも分からないのに分かるわけも無いが)体の回復といいことごとく予想通りにいかず、現状ほとんど成り行き任せ。早く落着きたいです、歳はどんどんとっていく。今とは違った日常を送っている思いたいです。
職業訓練終了
2007.3/7
ぐだぐだ言いながら、何とか三ヶ月も過ぎ、長いようで早かった・・・・。考えようによっちゃ、素人のおっちゃんがたった3ヶ月勉強しただけで、仕事にありつこうなんて、むしのいい話だ、それぐらい私も分かっているし、まだまだ自分でもいきなり実務なんていわれても自信がないので訓練を2ヶ月延長してもらい、4月末まで、通う事にしました。(前職)今までは、見栄を張って、虚勢を張ってやって来れたし、それなりの自信はあった。でもこれからはまったく違う、経験と実績が無いからそれがきかない。一番の悩みでもある、それでも何とかなっていくんだろうが???再発でもしない限りこれ以上落ちる事もないだろう。障害を持っている事を同情されたくはないし、それを盾にするようなこともしたくはない、プライドだけは捨てずに。しみったれた事は言いたくないがこれも運命なら、運命に負けないように。きれい事ばかり書いてますが、HPという性格上多くの人にわかり易くと思い、言葉を選んで探して書いています。正直なところ心中こんなに穏やかではありません。
職業訓練その後
この勉強嫌いがいったいどうしたことか?生活が掛かっていると違います!!3ヶ月の勉強では不十分と感じ、4月末まで延長というかたちで引き続き同じ場所で勉強することにしました。職業訓練は国の制度と言うか補助で行われていた、引き続き同じ制度は使えないので今度は、障害者協会からの援助で通います。3月までは、JW・AUTOCADという初歩的な2次元CADでしたが、せっかくだから3次元CADもやってみたくて、CATIAV5という3DCADの勉強を4月末までするつもりです、基本操作とはいえ2ヶ月で覚えられるか・・・・?
20074/30
そんな職業訓練(3ヶ月+α)5ヶ月も4/27なんとか終わりました、お世辞にも習得したとはほど遠い。サラッと流した程度・・・・でも就職に繋げなければならないから、(本人は大真面目!)。出来るだけ休まず、時間も基本はありましたが、「就業時間内なら」と言うことで、迷惑承知、朝9時ぐらいから夕方6時ぐらいまでやっていました。
でも悲しいかな、頭の許容量は決まっているのか?詰め込んだだけ出て行ってしまうし。せっかく覚えてもどの引き出しに締まったのか忘れて
(リンクエラー)、学生じぶんやらなかった復習の大切さを思い知る。

ここ最近というか、発症以来よく思うことがある、健康で不自由なく働いていた頃は、自分は『一匹狼』でどこにも属さず、好きなようにやってきたつもりだった。でもいざ体の自由を奪われ、職を無くした時。無性に
何処にも属さない事に不安を覚えたことが有ります。職探しも人任せばかりにしてた訳じゃありません、ハローワークにも行き探しました。でも現実は障害者向けの雇用といっても、ハローワークに出ているのは東海三県で10件程度。もちろんCAD関連の求人などありません。この体では単純作業すら出来ません。仕事を探すならと一般向け求人からも探しました、10件ぐらい問い合わせをしました、「障害者で経験がありませんが」と言うと面接すら受けてくれません・・・・ 「俺はどうなるんだろう?・・・」 なんとかなるさ。

2年と8ヶ月23日会復帰 発症986日目
こんなふうに2年と8ヶ月過ごして来ました、あらためて今思うことは。何一つ無駄な物はないんだな、全て繋がってるんだな。というのが実感として沸いてきます。全て自分次第!何度も負けそうになりましたが、カッコ悪いから病気や障害には負けたくなかった、たくさん障害を持ちましたが、あらためて思いますうまい具合なんとかなるように、少しだけ体の自由とやる気だけは残してくれました。
いろいろありました、紆余曲折の末4月末まで通ったCADの民間職業訓練委託会社に、就職するという幸運に恵まれました。

勘違いなさらないよう、社会復帰はしましたが となりのアニメーションのように歩けるわけじゃありません。
幸い体の方は良くもなく悪くもなくと言うところです、それでももう杖を使うことはなくなりました、よほどのことがない限り杖はつかわなくなりました
闘病記というわりに最近は身体的なことの報告がなかっうたので、少しだけ報告です。
2007.5/21 から職業訓練生ではなく社員として立場は全然違います、通いなれた道・スタッフ・職場あらためて気を使う労力も無くその点でも恵まれました。仮に新しい職場に行こうとしたら、会社の雰囲気も分からないし、どんな人間がいるかもも分からないし此方の障害のことを一から説明して理解してもらわないといけない。一からわたしのスキルを説明する手間もない。つくづく人とタイミングに恵まれたと思います、自分一人では何もできないことと。最近子供が見ているアニメ番組の挿入歌の歌詞の中に「負けたくないし♪泣きたくないし♪ 笑ってたいから♪」というフレーズがありますまさにその心境です。
意外な予期せぬ障害2007・7/1
社会復帰を果たし、これからは意気揚々と行くはずだったが・・・・早いものでもう一ヶ月経ちました。初めての職種 言葉は悪いが初めて付き合う「人種たち」戸惑いと疎外感?が一杯でした、よく考えてみるとこの疎外感て言うのは、自分の中で作り出していた物で、歳をとると「ヒガミっぽくなると言うが」まさにそのとおり!
社内のほとんどが20代か30代前半。若さに対して僻んでるだけなんだろう、それが自分なりに出した結論です。
でも自分に言い聞かせます。この若者たちに勝っている物はたくさんある、47年波乱万丈の人生を生きてきた経験と、30年の仕事で培ってきたいろんな経験とノウハウ。彼らには知識はあっても、ノウハウはないから。いずれにせよ此方も経験をつまない限りその距離は埋まらないだろうが、いつか「オッチャン結構やるじゃん」て言わせてやる。