発症
入院
現状
退院
発症・半年
入学
発症・1年
帰郷
もう2年・まだ2年
3度目の春
うまくはかないもの





急性期のリハビリ
血圧、脈拍、呼吸といった全身状態が落ち着き、脳卒中の急性期の治療が一段落すると、本格的な理学療法が始まります。 入院3日目、ICUの部屋まで、言語療法士スピーチセラピスト(ST)、理学療法士(PT)の先生がおみえになり、内科の先生とは別にそれぞれの専門分野から見た見解を元にリハビリテーション実施計画書を作っていかれました。

娘と一緒に気晴らし、娘・4ヶ月
心身機能 以上が診断結果でした。
PT・STの目的は、個々の患者さんの障害の程度に見合った適切な訓練を積み重ねることによって、障害部位の自然回復を助けることです。また、残された機能を使って。その日からベッドサイドでリハビリは始まりました、まずは寝た状態から起きる、これだけの事ですらうまくいきません、腹筋・背筋などの麻痺で意識せず出来ていた事が今までの何倍も力まないとできません。起き上がる時左腕が着いてこないので(ダラ〜ンとした状態)右手で左腕を持ってやります、そうしないと脱臼するからです。その次は座る練習ベッドサイドで足を降ろし座る少し左に体を傾けるとそのまま左に倒れてしまいます、右側が動くならそちらで補えば良いだろうと思っていましたが、そんなものじゃ有りません、あくまで左右の筋肉のバランスが取れていてはじめて体は機能している事に気が付きました。それでもまだすぐに手も足も動くようになると信じていました!何の根拠もありませんが。
言語のリハビリは口を大きく開けたり・口を横に(いっー)と、してみたり後は発声の練習みたいな事「パ・タ・カ・パ・タ・カ」などと繰り返します。そのほかに知能指数IQのテストのようなことや「これ解りますか?」なんて聞かれて、まるで小学校低学年の先生か保育園の先生が教えるような口調で心の中で「バカにすんな!」と大いに自尊心が傷付きました、「頭はちゃんとしているぞ!病人扱いしやがって!」 「病人だ!お、前は」先生御免なさい。これもまだ現状を受け入れる事が出来ていなかったせいだと思います。本で読んだのですが、障害が残った患者の多くは
発病→ショック→否認→怒り・うらみ→悲観・抑うつ、などの精神状態をたどるとありました、確かに思い当たる節はあります。

看護師さん
によく言われました、「寝てばっかりいたら駄目ですよ」病気のせいだとばかり言っていられないのはよく解っている、【頭は】 でも眠い!、
「とにかく死ぬほどダラダラしていたい」・「ほおっておいて欲しい」
本人もどんな障害があるのか解っていない、
【実体験してみないと】看護する側も同じだろう、それも分かるが、あからさまに痴呆老人や高齢者でも扱うように、接してくる人も極一部居ることも事実だ。「大いに傷付く」が、大変な仕事だと思う。20代の頃入院していた頃は気が付かなかったことが、いろいろ見えました。
2〜3日はベッドの上でのリハビリ。一週間目ぐらいで症状も落着き絶対安静が終わったのでベッドから車椅子に移る練習を始める
それぐらいはすぐにできました。普通なら両手でタイヤを回し進む方向も回し方を加減して調整します、片手しか使えないので右手だけで回すと真直ぐ進まないので、使える右足で方向を修正しながら進みます。ICUの中で少し練習をして、いざ路上!には行かない。病塔内へ気分転換。
小さな事故
奥さんに付き添ってもらいトイレに、車椅子から洋式トイレに移る練習、まだ危ないので1人では行かないようにと釘を刺されました。
便座に移ったまでは良かったのですが、ちょっと油断した時に左に体が傾いてとっさに手摺を掴み「大転倒」は免れましたが傾いたまま体制を戻せず「たすけてくれ〜 」と ちょっと舐めてかかっていました。右半分は動くから、右側で頑張れば良いだろうと思っていましたが、そんなものじゃなかった。危なかった!
ちょっと慎重になる。

リハビリテーションでどこまでよくなるのでしょうか?

それは誰にも解りません、梗塞を起こした部位・範囲によっても異なります。脳卒中によって脳の神経細胞へ供給される血液がとだえ、酸素や栄養が全く届かなくなると、神経細胞は通常の場合数分間で死滅してしまいます。一度死んでしまった神経細胞は、現代の医学では如何なる方法でも生き返らせることはできません。一旦生じた四肢の完全麻痺は、健康な状態に完全に回復することは極めて困難なのです。医師やリハビリ療法士からの「もう治らない」という宣告は重い刻印としてこころの奥底に焼き付いています。それを払いのけて地道なリハビリを続けるのは簡単なことではありません。障害を直ちに回復させる薬も、手術もありません。脳卒中による四肢の麻痺の回復は、一般的には、3ヵ月位までは比較的回復の速度は早く、その後はゆっくりとした改善を示し、6ー12ヵ月で多くは固定してきます。同時に私自身病院退院後、リハビリの転院のおかげで次第に麻痺は改善して来ましたし、この目で回復している方の姿を見ました。私は「3ヶ月・6ヶ月回復限界説」というものを信用していません。まだ治る可能性のあるものに蓋をしてしまう危険があると考えています。 回復の程度や速度は、病気の原因、部位とその大きさ、また患者さんの年齢や合併症などによって様々です。重要なことは、リハビリテーションに対する本人の意欲と毎日の地道な訓練の継続です、長く何時終わるかも解らない。
リハビリ室へ
入院後1週間ほどしてからリハビリ室でリハビリをするようになりました。懐かしい「何故?」プロフィールで紹介させていただいたようにレースをしていた若い頃膝の靭帯を切って手術・入院もこの病院でした(20年前)。 まずはベッドに腰掛左右に体を傾けバランスを保つ訓練からそれからベッドに仰向けに寝て左足を理学療法士の先生に支えてもらい他動で曲げ伸ばしをします、動きはしませんが動かそうという意識だけはして「死んでしまった脳の神経組織は回復はしないが、動かそうとする意識・刺激を入れ続ければ脳の使っていないほかの部分で「学習し直す」ことで回復する事があるらしい。この繰り返しを続け、正常な状態を100とすれば1%ぐらいの反応ですが曲げよう・伸ばそうとすると「ピクッ」と筋肉が反応するようになりました。後は繰り返す事で反応が強くなります。
これは「筋力を上げるというのとは意味合いは全然違います(違うはずです)難しい話しですが。勘違いをして、ウエイトなど付け運動をしても、マイナス効果しかありません。リハビリの概念としては常識です。

トイレには困る
病院内ですら、何故もっと洋式トイレを増やさないか!ここは病院だろただでさえ弱った人達が来るところ、足腰も弱っているだろう。和式便器じゃないと用がたせない人がいったいどの位いるのか?私は様式で手摺が付いていないと危なっかしくてトイレにも行けない、身障者用トイレじゃないと困る、朝御飯を食べトイレに行く時間も、患者同士重なることもある、トイレを探し車椅子でエレベーターを上に下に慌てた(あせった)事もあった。一度なんかどうにも我慢できず和式トイレにに入った、見たところ手摺はない「大丈夫だろうか」左足に力が入らないため踏ん張れないので、しゃがみ込んだら手摺の無い所で立ち上がるのは今の私には不可能!目の前に水洗の給水パイプがある、選択の余地は無い、しゃがみ込む時もパイプにしがみつきぶざまな格好で、なんとか無事、用も済み死にもの狂いで立ち上がる。「は〜っ・・・・」 元気な時は考えもしなかったことが次々障害となってあらわれる。

以降退院するまで
リハビリは毎日続きます、前にも紹介させてもらいました「内科的治療」は2週間の血栓溶解療法だけです。
理学療法はリハビリ室に、言語療法は言語療法室に決まった時間に出向き毎日の日課をこなします。リハビリ室に行けばいろんな症状の患者さんがいます、この頃症状ははまだ歩行練習すらできないレベルだったので、たとえそれが杖を付いたお爺さんでもうらやましく眺めていました。リハビリも段階をふまないと先には進めません・・・・少しして1ヶ月目からやっと平行棒を使っての歩行練習が始まりました「誰が一生車椅子なんか!」と心の中で呟きながら、歯を食い縛って意地になってやっていました。たとえ平行棒を使っての歩行とはいえ、一月ぶりに自分の足で歩けた時は凄く嬉しかったのを覚えています。
わがまま
入院当初から気がかりが一つ毎年欠かさず参加している車のイベント、長野県・車山で行われるFBM(フレンチ・ブルー・ミィーティング)10月半ばです。それまでになんとかなるかな?「この件も後で説教されました、何考えてるの!」へ・へ・へっ正直リハビリの原動力はここにありました、なんとか杖を突いてでも良いから行きたいな〜と、「今思えばバカでした」皆さんにご迷惑をかけました。特にクラブの河嵜さん「載せてってください」とお願いしていました、杖を突いての歩行練習は、装具(麻痺のため足首が固定できないので)左脚に付けての歩行でした。今思えばとても無理な話でした。でも本人は「なんとかなるだろう」と簡単に考えていました。
しかし説得され1週間ぐらい前になって諦めました「結果的に行かなくて良かった。
装具、ひざ下から足首にかけてホールドするような形でベルトで固定します。ちょっと無理があるんじゃ?しょうがないから右手には杖 杖を突きながら平行棒の中で歩行練習、隣の小さな女性が私の理学療法の担当医です、小さいのに力持ちです。
院内感染?MRSA
入院後、2週間ほどしてから一般病棟・個室に移動、すぐには入浴許可が出なかったのでベッドの上で体を拭いてもらいました。やっと入浴許可が出たので、入浴と言っても湯船に浸かる事はできないので、初めは奥さんと・看護師さんに介助してもらいながらシャワーです約1ヶ月ぶりぐらいです、気持ちよかった。午後からリハビリへリハビリ室がクーラー効いていて寒いくらいでした。リハビリも終わり病室へ戻りベッドで寝ていたら「寒気がしだした」風邪でもひいたかな?その後熱が出始め、しんどいので晩御飯も食べずに寝ていました。夜になり40度近くまで熱が上がりました、あまりにつらいので思わず看護師さんに八つ当たり
「何で病院にいてこんな思いをしなきゃいけないんだ!」〜「何とかしてくれ〜
看護師さんは一生懸命やっていてくれました。夜中に熱もピーク後は下がり始めました、明け方にのどが渇いて看護師さんに「アクエリアス買ってきて〜お願い、お金は立て替えておいて」買ってきてもらいました。その時のアクエリアスは美味しかった〜。朝になり「血液検査をして診ましょう」取り合えず下熱と抗生剤の点滴を1週間の点滴!2週間の点滴が終わってホッとしたのに、半日ぐらいしてから手のひらが凄くかゆくなってきて、訴えたら、液状のかゆみ止めを出してもらいましたが、効くのはその場だけで、再度「これじゃだめみたい?」そうしたら次の日に、皮膚科に診てもらおう、なんで!皮膚科の先生に診てもらいカルテと症状を見て即答「点滴が合わないんでしょう」その後主治医から「血液検査の結果、血液の中に黴菌が見つかったのでそのせいでしょう」なんか釈然としませんでした、「点滴も違うのに換えましょう」点滴換えたらすぐかゆみは止まりました、怖いな〜と思いました。取り合えずこの場は1週間の点滴で治まりました。

その後半月以上過ぎてから、夜テレビを見ていたらまた!「寒気がしてきた」またかよ!一気に39度ぐらいまで上がりました。なんで
また点滴!採血、今度は泌尿器科を受診
「専門的なことはよく解らないので言いなり」泌尿器科の見解は「別に異常ありませんよ」じゃなんで?主治医の診断はまた「血液の中に黴菌が見つかりました」 ?
勿論病院ですから他の病気を拾う可能性もあるでしょう。テレビのニュースなどで耳にする「注射針から感染・・・」なんて事も疑った事もありました、入院してから何十回と採血・点滴と針を刺しています。でもそんな事、言える訳はない。(患者は立場が弱い) 病院の中でも新しい薬が処方された
時薬剤師が病室に出向き薬の説明をしてくれます、その時に奥さんがその説明内容を聞いていて「ようするにMRSAですか?」と突っ込んだところ「ま〜そうゆう事になりますかね〜」と言葉を濁しました。MRSA(院内感染)、1週間ほど微熱が続きましたが知らないうちに直りました。

気がかりは熱が出るたびにリハビリを休まないといけない、結局2週間。 脳梗塞などの場合発症から3ヶ月(早期)にどれだけ回復するかが鍵といわれる、タイムリミットを突きつけられているようで焦ります。この時期を過ぎると回復の見込みは半分以下になるとされます。学術的根拠は有りません、あくまで統計です。しかしリハビリは思ったように進みません、2ヶ月ほど経った時点で回復の様子は足の方はあまり進展はありません、歩いているとは程遠く30メートルほど進むだけで凄く疲れます。寝たきりや車椅子の人に比べれば贅沢な悩みですが・・・腕の方は全然反応無しです、指一本すら動きません。服の袖を通すだけの飾りになっています。