発症
入院
リハビリ
現状
退院
発症・半年
入学
帰郷
もう2年・まだ2年
3度目の春
うまくはかないもの
考えれば長い、過ぎてみれば速い時間でした。仕事をしていたら、1年休むなんてとても考えられませんが。病気をするとそれが当たり前でできちゃう、何故1日休んで病院に行かなかったか、悔やまれます。
障害者支援施設

での一月半ほどのPC講習も終わり、せっかくだから続けて勉強しようと、車で20分ぐらいの距離にあるソフトピアジャパン内福祉メディア実習室というところに通い始めました。もとは県が主催している高齢者・障害者対象の講座で、ほとんどが高齢者のおじさん・おばさん達です。探すと結構、障害者対象の講座なんかあります,それと良かったのはわりと近場でこのような施設があったことです。人生の中でこんなに集中して勉強をしたのも初めてでした。

PCの勉強と平行して

リハビリも週に2回ぐらいのペースで通っています。私の場合は症状が固定しているので、リハビリの目的は骨折や怪我のリハビリとは意味合いが違います。主な目的は現状維持です。だからがむしゃらに通わないと駄目というものでもありません、この病気の特徴として、リハビリをやったからといって目に見えて症状が変わる分けじゃありません。半年前に比べれば・1年前に比べればという長いスパンで考えていかないと凹んじゃいます。確かにこの年のはじめは杖無しでは歩けませんでした、このころはよほどじゃない限り杖は持って歩いていませんでした。健康なころと比べれば歩くのにも数倍疲れます。下の娘も1歳2ヶ月ぐらいで歩き始めました、赤ん坊だって初めは寝返りもうてないのに、1年もすると歩くようになる、日々の学習の結果です。そんな娘をうらめしく見ている自分が情けないです。今はまだよちよち歩きだから良いが、そのうち追いつけなくなるのかな、近い将来。

 ソフトピアジャパンといいます、この一帯にIT企業が100社以上集まっており岐阜県が目指す高度情報基地らしいです。

ソフトピアジャパンは、新たな時代の開拓者として価値ある情報を生み出し続けます。ソフトピアジャパンは、岐阜県が目指す「高度情報基地ぎふ(情場)」づくりの戦略拠点として、情報産業の集積と産・学・官のグローバルな連携によって生まれる”交流”、”連帯”により、新たな情報価値を”創造”し、情報の産業化、産業の情報化、地域の情報化、生活の情報化、それを支える優れた人材の育成による高度情報社会の形成と県民生活の向上を目指します。
私はそんな大それた事は勉強していませんが。2005・7から2006・3月までいろんな講座に通い、良い気分転換になりました。体のほうも本当に少しずつですが、改善の方向に向かっています。 
発症後1年、発症当時は「いくらなんでも職場復帰しているだろう」と思っていました。「ジャンジャン♪」
脳梗塞という病気

最近この病気を聞いて思い出すのは、長嶋(元巨人監督)・西城秀樹さん・坂上次郎さんなど結構いらっしゃいます。直接話を聞いた訳じゃないので、はっきりした事はいえませんが、あの長嶋さんですらまだ充分回復されていません、いまの医療で考えられる一番良いとされる治療をされているでしょうに。そゆう病気です、100%回復はありえません。そうやって自分を慰めています、確かに脳梗塞になって、麻痺が出ても回復される方はみえます、それは梗塞の部位・広さなど人それぞれ、軽く済まれたのでしょう。現代医学ではまだ脳の事は完全に解明されていませんから、今の時代癌などといっしょで諦めるしかないでしょう。50年・100年後には治療法も確立されているかも。そもそも現代のコンピューター満載の車と同じで、他の機関は異常なくてもコンピューターが壊れると動きません。それと似ています、筋肉などには異常はないが、動けと言う指令が出ない。脳は神経の塊のような器官一度損傷を受けたら回復・再生をしない。あと頼みの綱は、リハビリで刺激を入れ続け、他の部分で学習し直す事を祈るだけです、これも確かではありませんが。
10月
小学校運動会・2年ぶりにFBM参加一泊二日の旅行でした、皆さん暖かく迎えてくれました、ひと時、闘病生活を忘れました。
12月
保育園の発表会、入院当時まだ離乳食も始まっていなかった4ヶ月の娘も、今じゃ皆と歌を歌い立派に?お遊戯をしてました。このころはもう娘の逃げ足の方が速く、子守にもなりませんでした。

2006・1/17 左・大胸筋が動き出しました。

障害者年金・障害者厚生年金の手続きに医療機関・社会保険事務所に何度も通いました。障害者手帳は2級でも、障害年金が2級で通るとは限りません、認定基準が違います。でも2級か3級かで支給額が年間100万円以上の違いがあります、2級の方が重度になります。生活はこの時点で支給されている、傷病手当だけで、それに代わるものです。

3月 障害基礎年金も無事?2級で審査が通り、なんとか当面の生活のめどもつきました。もうすぐ春がやってきます。今年中には職につきたいと思っています。でも以前の職場復帰の夢は捨てていません、会社の方も「動くようになったらまた戻ってきな」って言ってくれています。
何年掛かっても。(天職ですから)
2006・4/13 今日たまたま、入院当時ICUにいた看護師さんと、お話をする機会がありました。
断片的にしか覚えていない、当時の状況を聞くことができました。それからすると、私の記憶はちょっと違っていました。
点滴をうけ一晩経ってから、片麻痺が起きたとばっかり思っていました。でも看護師さんによると、ICUに入った時はすでに片麻痺の状態で。その時のレントゲンを見ると、右脳の半分近く梗塞が広がっており、正直絶望的な状況だったらしいです。これほど梗塞が大きいと、完全麻痺になるだろう「過去の症例と照らし合わせると」という意味だろうが、ICUの中での予想だったらしい。一年半を過ぎた今でも、この話を聞いてショックでした。そんなに酷かったのか・・・・もう30分早ければ、もう少し軽く済んだかも?って言ってました。 その状況を考えると、この回復は奇跡的らしいです。この場をお借りして、献身的な看護をしていただいたICUの皆様に感謝します。
2006/4

医療法改正、改正の意味が良く分からない。諦めろ!という意味か?脳梗塞などは、発症から180日過ぎると、医療保険を使ってのリハビリは受けられなくなりました。受けたいなら実費、全額負担らしい。「収入が無くて、いっぱいいっぱいなんじゃ!ボケ!」公的年金は有りますが。健常者の役人は何考えとるんじゃ! 身体障害者支援保護法? 保護法なのに、なんで負担が増えるんや! いつもしわ寄せは、弱い無力な者のところに来る。
リハビリ
医療法改正のあおりを受け、通っていたリハビリ施設も、3月いっぱいで通えなくなりました。これからどうするかは、まだ模索中。